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合意形成の手法を身につけた、 医療現場のファシリテーターになれる看護師を育てたい!

2016年5月13日掲出

医療保健学部 吉武 久美子 准教授

助産師として臨床の現場で働くうちに治療やケアの意思決定について学問的に探求したいと思うようになり、大学院へ進学して研究を始めたという吉武先生。医療現場での「合意形成」の重要性について、お話をうかがいました。

■先生が取り組んでいる研究テーマについてお聞かせください。

 私が研究しているのは「医療現場における合意形成」という分野です。たとえば治療方針を決めるにあたって患者と医師が話し合いをして「合意形成」する。言葉の印象からはそんなイメージが浮かぶと思います。けれど現実に治療の現場に関わっているのは患者と医師だけではなく、そこでは看護師や患者さんのご家族など周囲の関係者も重要なキーパーソンです。そういう人たちをきちんと巻き込みながら、どのように意思決定をしていけばいいのか。コミュニケーションというのはなかなか形として表しにくいものですが、その基となる理論を作ることが研究の目的です。
 「医療現場における合意形成」を、もっと丁寧な言葉で表現してみると「関係者が意見の理由を共有し、納得したうえで最善の策を見出す為のプロセス」となります。単に机の前に集まってこの意見について賛成か反対かを決めるやりかたではなく、お互いが何を考えているのかということをしっかり引き出して−−それが意見の理由を把握するということ−−何に関心や懸念を抱いているのかということを共有したうえで、現時点でのベストを考えていくプロセス、ということですね。また「意見の理由」といっても、ただそれを聞くだけではなく、どういう背景でその理由が出てきたのか、それを知ることも重要。そこで「理由の来歴」というキーワードを作ると、どうしてそう思うのか、そう思うに至った理由はなんなのか、ということをその言葉の枠組みで捉えることができ、誰もが理解しやすくなります。このようにある意味「概念を作る」研究とも言えるかもしれません。

■ 先生がその研究をはじめたきっかけは?

 もともと私は大学の看護学部を卒業後、20代の頃は助産師として産科の医療現場で働いていました。そこでは、とりわけ女性が「産むか産まないかを決める場面」で悩ましい状況に直面する姿を多く見てきました。ちょうど90年代で「インフォームドコンセント」という考え方がアメリカから日本へ入ってきて、臨床現場でも使われ始めたばかりのころ。それまでの医師主体で治療法を決めるやり方から、今度は患者さん主体で決めていこうという大きな転換の時期でした。しかし現場では「じゃあ患者さんを中心にしたいい決め方ってなんだろう」と悩み、模索していたのです。
 インフォームド・コンセントという考え方は、基本的に「患者の自律を尊重する」という考え方です。ですから患者さんの意思を尊重する。そういうと簡単に聞こえますが、実際には病に犯されたときに、あなたはどうしたいですかと問われても、どうすればいいのかわからない人も多い。また海外の人々と比べると日本人は意思表示が苦手で、こうしたいとクリアに言える人ばかりではありません。とりわけ私が関わってきた女性たちは、自分の意思はどうなの? どうしたいの? と聞かれてもはっきり言えないことが多いんです。それならこちらで決めていいのか、あるいは別の誰かに決めてもらうのか。そうではなくて、本当に大切なのは「患者本人もはっきりとはわからない意思を引き出していくような対話や関わり方」。では、それを実践するにはどうすればいいのか。
 このように現場だけではなかなか解決できない問題を、理論という形で解決できないかと思い立ったのが30代半ば。それから大学院へ進学したのが私の研究生活の始まりです。

■ 合意形成は医療現場ではどのように活かされているのでしょうか。

 臨床の現場では、こういう場合にはこうした方がいい、という方法が明確にあっても、それがいつでもどこでも実現できるわけではありません。そこで現場の人間は「理想はわかるけど、うちでは実際にそれはできないよね」といって終わってしまう人も多い。けれど先ほど述べたような合意形成のプロセスを使って関係者の意見やその理由などを把握することで、今少しでもできることをやったり、現場の実情にあった解決策を作っていくことができます。決まった解決法だけでなく、それぞれの現場でクリエイティブな解決策を見つけられるようになる。それは一つの成果かなと思います。
 「理由の来歴」というのは過去を振り返って気持ちを整理すること。そしてその選択をすると近い将来どんなことが起こるのかという未来を予測し、現在に戻って、では今ベストな選択はなにかを選んでいく。時間が経って状況が変われば、また同じことを繰り返してそのときのベストを見つけていく。合意形成のプロセスをそういう風に進めていくことで、何がベストかわかりにくい問題の解決の糸口が少しでも見つかるのではないかと思っています。
 また、思いはあってもそれがうまく表現できず、医師や患者さんやご家族とお話をするときに話をどうもっていっていいのかわからないという看護師も多くいます。しかもこれが絶対にベストだという解答があれば楽ですが、なにがベストかわからないことの方が多い。そのときに何を頼りにしたらいいかということは臨床倫理の分野では大きな課題です。ただそこで、関係者がどうしてそう思うのか、どうしてそう考えるに至ったのかということが分かっていれば、それを「だからこうするんだ」という行動の根拠のひとつにしてもいいんじゃないかと思います。それが現場の人たちにとって「これでいいんだよね」と思える拠り所になりますから。
 看護師たちは本当にいつも「これでいいのだろうか」と悩みながら仕事をしているんです。その気持ちを共有する場がないと一人で抱え込んでパンクしてしまう。誰かとそれを共有するだけでもずいぶん負担が軽くなります。そういう面でも、合意形成のプロセスとして現場を把握することは、担当者の負担軽減にもつながるのです。

■合意形成をうまく運ぶために大切なのはどのようなことでしょうか。

 大切なのは話し合い方です。極端な話、私は話し合いの場の空間づくりも大事だと思っています。それこそテーブルと椅子をどう配置するか、時間はどのくらいかければいいか、といった場所・空間の配置。参加者から意見を聞くときも、座っている順番に聞いていくと、前の人が話したことに単純に同意したり、似たようなことしかでてこなかったりします。そこで順番ではなくポストイットのようなものに気づいたことをなんでも書き出して、そこから話を引き出していくなど、話し合いの手法を工夫しながら進めることが大切です。
 また、意見の理由を引き出すための仕掛けなどにも目を配るといいでしょう。直接的なターゲットを決めて「その人についてどう思う?」という話の運び方をすると、当然、その人に関わっている人たちは素直に気持ちを表現しにくいですよね。反対に第三者的な、間接的なものをターゲットにして、これについてどう思う? と聞かれれば意見が言いやすいでしょう。たとえば集まって花や月を愛でているとき、そこにいる人たちは同じものを見ながらも、実は心のなかではいろいろなことを考えています。これは人というのは多様な価値観を持っているということを、間接的なものを使いながら理解できるひとつの仕掛けです。だから私も研究室に掛け軸をかけたり壺を置いたりして、学生さんとの話のきっかけに使ったりしているんですよ。
 看護師にとって「多様な価値観を共有する」ことはとても重要です。そのためにはまず、自分がどのような価値観を持っているのかを知ること。その後、相手の立場に身を置きかえて考えてみること。自分の気持ちを誤解されないようにきちんと表現すること。また、人から聞いたことをわかったつもりではなくちゃんと確認する作業。こうしたスキルは日常生活のコミュニケーションにも役立つと思います。

■最後に、今後の展望についてお聞かせください。

 医療の現場ではスピードが大切。しかも今やらなければいけないのか、後回しで大丈夫なのかといったことは事案によって異なります。そこで時間との兼ね合いを考えながら、患者さんが出しているなんらかのサインに気づき、いま話し合いをした方がいいんじゃないかという発信者になることが、ベッドサイドにいる看護職にこれから求められていく大事な役割だと私は思っています。
 今後は、合意形成の手法を使って話し合いができる人材を育てること。そして話し合いを引っ張っていくファシリテーター(調整役)を育てることが課題です。これから先、現場でファシリテーターの役割を担うのは、現場がわかっていて、いろいろな調整ができる中堅どころ以上の看護師になるのではないかと思います。そういう人たちにファシリテーター技術を身につけてもらい現場で実践していくことが、合意形成のプロセスを医療現場で活用するための大きな一歩になるでしょう。
 またこれは将来的な目標ですが、海外の研究者たちと協力して、国による文化の違いを整理しつつ、この概念を発展させていきたいというのも個人的な課題のひとつです。

・次回は6月10日に配信予定です。