日常にある小さなことを見落とさず、常に感動できるアンテナを持とう!
デザイン学部 深澤 健作 助教(現 講師)
写真も撮りたい、立体もつくりたい、絵も描きたい…高校時代から美術に関わるあらゆることに興味を持っていたという深澤先生。その思いは今も変わらず、絵画というベースを持ちつつ、その枠に止まらない多彩な創作活動をされています。今回は、先生の作品と授業での取り組みについてお話しいただきました。
■まずは、先生の作品についてお聞かせください。
専門は油画なのですが、単に油画というよりは、使用する素材や材質も関連してくるようなコンセプトの作品をつくっています。一般的な絵画と同じく、モチーフがあって絵を描くことに変わりありませんが、同時に素材感や質感、そもそも自分がその道具を使って表現していることは何なのかというところから考えて制作しているのです。私の場合は、身体的な動きを匂わせる筆のストロークや絵の物質感みたいなものをあえて残こすような表現手法をとっています。抽象的な言い方になりますが、絵の具は物質ですから、その“物質”と“描く”というところの境界で作品をつくっているのだと言えます。また、絵のテーマは身近にあるもの、身近で起きていることに対して、ちょっと見方を変えることで発見する抽象的な形態や独特のリズムみたいなものを扱うことが多いです。夜の窓ガラスに自分の姿が映り込んでいて、明るい色のものは自分側が映っているけど、暗い色の先には外の景色が見えているとか、エスカレーターに乗っている時、階段状になっていた足元が平たくなる瞬間に、下にあるグリーンの光がふわっと見えたとか。そんな日常の中にある見落としがちな発見をテーマとすることが多いです。そういうものをひとつのソースとして捉えて、絵の具という物質に置き換えていくことをしているのだと思います。
近作では、クリスタルをモチーフにした絵があります。クリスタルは、それ自体美しい宝石ですが、それを覗き込んでみると、その中には外見以外の情報として、光の輝きなどが乱反射した美しさが見えますよね。そういうパッと見た印象だけではなく、覗き込んだ中に不思議さや綺麗さが隠れているのだということを伝えたくて、絵に描いています。そういう見落とされがちな部分を見落とさずに描いていくのです。
他には、野原で寝ころんだ時に見かけた光景を描いた絵があります。土手の手前に花があって、その向こうに人が座っていて、さらにその奥に建造物があるという景色だったのですが、それが何か一連の流れやリズムのように見えたのです。それを絵として描いたわけですが、その時も写実絵画のように、これが葉っぱで、そこは土手で、こういう顔をした人が座っていてといった説明的な描き方はせず、偶然に起きた配列をひとつの装飾として捉え直して描きました。この作品の場合は、例えば草花は、殴り書きのような強いストロークで、勢いをつけて描いています。普通、油絵は透明の絵の具なので、それらを積み重ねた透明層の重なりで地道に描いていくものですが、私の場合は、書道のように一回のストロークを大切にして描きます。ですから細密画のように丁寧に花びらを描くのではなく、ひとつの物質として捉えて描いているのです。なぜ、こんなふうに物質や材料を含めた描き方をしているのかというと、大学院で油画技法材料研究室というところに所属していたことが大きいと思います。そこでは絵を描くための道具、絵の具の特性や材料などについて学んでいたので、そういう視点を含めた作品づくりをしているのだと思います。
また最近では、挿絵などの依頼を受けて絵を描くことも増えてきました。例えば、ある音楽中に登場する場面を絵にする仕事。これは個人的な作品制作とは違って、外部から場面を与えられて、それに反応するように絵を描く作業になります。それでも私自身が培ってきた描き方や、素材と材料と表現という部分で表現が反映せれています。
■絵画以外の作品もあるそうですが、それはどういうものですか?
例えば、空間演出として電飾と布の垂れた形で描くとか、ネックレスを組み合わせて表現したものなどがあります。最近は絵画作品が多いですが、それに固執しているわけではなく、その時々で映像だったりインスタレーションだったり、作品のテーマによってメディアを変えています。なので、絵画でも同じ作家とは思えないほど作風が違っていたり、絵だったり空間だったりとメディアが違っていたりしているのです。ただ、どのメディアでも取り組んでいること、コンセプトは同じなので、作品のタイトルはどれも「周辺から踊りだす律動の形」と名付けています。身近なところから踊りだすように動き出すリズムの、偶然にできた形を捉えているという意味です。このタイトルは全部同じなのに、作風やメディアは全然違っているという点が、私のスタンスをよく表しているのかもしれません。
■では、授業ではどういうことを教えていますか?
1、2年生の必修科目「感性演習」の“描く”を担当しています。1年次の「感性演習Ⅰ」では、鉛筆の削り方といった道具に慣れてもらうことからスタートして、デッサンや花の絵を描くといった最低限のベースとなる学習をしてもらいます。単にデッサンと言っても、ものの見方、目のトレーニングを含めているので、課題は私なりに工夫しています。最初の課題は、コップに水を好きなだけ入れてもらって、その下に模様のある紙を敷き、そこで見えたこと、発見した魅力を的確に絵で伝えるということをしてもらうのです。水がある分、複雑な屈折が起きるわけですが、改めてそれをよく見てみると、何かすごく面白いことが起きている、そういう発見をしてもらいたいのです。また、この演習の最後の課題は、ペンや絵の具など絵を描くための道具を使わずに描くということをしてもらいます。要は、ネックレスでドローイングをした私の作品のように、ネックレスでも紐でも針金でも絵は描けるということに挑戦してもらって、「絵を描く道具はこれ」という固定概念を外していきます。そうすることで、将来、色々な発想のアプローチができるようになればと思っているのです。
それから2年生の「感性演習Ⅱ」では、ひとつのキーワードを与えて、そこから思いつくコンセプトをグループごとに考えてもらい、それに則って作品制作をするという課題に取り組んでもらいます。今年は「東京」というキーワードだったのですが、「東京」が抱える問題とその解決を題材にしたり、東京の魅力を伝えることを考えたりと、グループごとに自由にテーマを考えて出してもらいます。この課題で大切なことは、グループワークなので、自分が表現したいことではなく、話し合いでテーマや表現を決めるという点です。自分たちでテーマを導き出すディスカッションをして、企画を構築していくことが狙いです。これは実社会で仕事として作業する時に大切になってくることだと思います。
■教えるうえで、何か大事にしていることはありますか?
私自身は美術大学で学んできたので、ずっと自己表現としての作品づくりと向き合ってきました。ですがデザイン学部で教える“デザイン”は、自己表現だけでは完結しないものです。というのもデザインには、消費者やユーザーといった伝える相手がいる、つまり明確な目的があるんです。例えば、ポスターをつくったとしても「何だかよくわからないけど、何かいい」というものでは困るわけで、伝えたい情報を相手にきちんと伝えられるものでなければなりません。かといってそこを強調し過ぎると、目的ありきの作品づくりになってしまって、最初から答えがはっきりしているものしかイメージできない、新しさや面白さのないものになってしまいます。ですから自己表現という要素もとても大事なんですよね。この相反する要素のバランスを教えることはとても難しいし、実のところ正解はないのですが、そこを学生にわかってもらおうと指導しています。
■最後に、学生にどのような人になってほしいと思いますか?
デザインは、自己表現や芸術性を追究するファインアートと違って、人々の生活にダイレクトに繋がる分野だと思います。そういう分野で新しい提案をしていくのが、今の学生たちの世代です。ですから人の心を揺さぶる、全く新しいものを提案できる人になってほしいですね。そのためには、小さなことでも見落とさず、何にでも感動できる素敵なアンテナを持つことが大事なのではないかと思います。そういうアンテナを磨くには、やはり日常に目を向けることです。日々の生活に目を凝らせば、そこには面白さや美しさ、楽しさがあふれています。今は何でも手に入るし、アミューズメント施設なども揃っていて、待っていれば楽しみが次々と与えられる時代です。でも、日常の中にある誰も気づかないような小さな発見ができる視点を身に付けて、自分で楽しみを探すことのほうが、ずっと面白いし大切だと感じます。今の時代だからこそ、そういう価値観やものの見方が求められるのではないかと思いますね。
・次回は2012年2月8日に配信予定です。