大田区にある町工場の記憶を色鉛筆で写し、交流を生み出すという地域コミュニティのデザイン活動を続けています!
デザイン学部 酒百 宏一 教授
紙と色鉛筆で写し取るフロッタージュという技法を使って、人の暮らしや町の歴史を伝え残す活動を続けている酒百先生。近年は、デザイン学部がある大田区の町の記憶を記録する活動に取り組んでいます。今回はその詳細をお聞きしました。
前回の掲載はこちらから→https://www.teu.ac.jp/interesting/021790.html
■先生の最近のご研究についてお聞かせください。
私はフロッタージュという描画技法を用いて、古くからあって、今、失われつつある町や人の営みの痕跡、例えば床や壁、道具などのキズや痕跡を紙に記録するという活動を“LIFE work”として続けています。フロッタージュというのは、木や石などの凸凹面に紙を置いて、上から鉛筆などでこすり、紙に図柄を写し取るという技法のことです。
今回は2013年から続けている大田区を舞台にした「オオタノカケラ」という活動についてお話ししたいと思います。そもそもこのプロジェクトが始まったきっかけは、蒲田キャンパスがある大田区のまちづくりを推進しているNPO団体が私のこれまでの活動を知って、大田区で何か作品をつくってほしいと依頼してくれたことにあります。その依頼を受けて初めて、大田区で自分は何ができるのかを考え始めました。そんなとき、たまたま廃業した町工場が手つかずの状態で残っているので何かに活かしてほしいという話があると聞き、実際にその町工場を見学させていただいたのです。そこは熟練の職人がずっと一人で続けてこられた家族経営の工場で、住居と工場が一体となっている大田区の町工場そのものという感じのところでした。天井から裸電球が下がっていて、木造の窓のサッシがあって、すごく良い雰囲気だったのです。すでにそこで働いていた職人は亡くなっているのですが、その方の息づかいや存在感をすごく感じられて。そのことに私自身がとても感化されて、理屈ではなく「これをなんとかしたい!」と思いました。
もともと大田区は戦後に町工場がたくさんできた地域で、1980年代は9000もの町工場が点在していたところです。それらの工場では特に機械部品を扱うところが多かったそうで、見学した町工場も小さな機械部品をつくる旋盤加工専門の工場だったそうです。またこの工場の中で特に私が惹かれたのは、そこで使われていた道具たちでした。何に使うのかわからないけれど、使い込まれた道具が非常に美しく映ったのです。また、それらの道具はご家族にとっては大切な遺品であり、町工場の記憶でもあるので私が譲り受けることにし、それらの道具を参加者とフロッタージュで写し取るワークショップを開きました。
その後、この活動は続けていかなければ意味がないと感じ、科学研究費補助金(科研費)を受けて、6年間続けています。大田区の町工場はロケットなど最先端機器の部品などもつくっているのでそういう意味での「カケラ」であり、フロッタージュで写した作品も町工場の断片(カケラ)として、みんなの作品をつなぎあわせ、ひとつの大きな大田区の宝として、これまでの歩みを振り返る機会にできたらと思ってこの活動を「オオタノカケラ」と名付けています。
具体的には毎年、大田区内のどこかの町工場を見学させていただいたり、町工場で使われていた道具をフロッタージュするワークショップを開催したりしています。また、今年はちょうど2回目の科研費が終わる節目なので、成果発表として3月6、7、8日に展覧会を開催しました。大田区にある戦前からの「せき工場」という貸工場の一角を借りて、これまでの「オオタノカケラ」の活動で写し取ったフロッタージュ作品や活動の記録を展示し、6年間の活動を振り返ったのです。
■「オオタノカケラ」の活動がひとつの節目を迎えたわけですが、達成感や成果はありましたか?
達成感はまだないですね。大田区に住んでいる方でも知らない方が多いと思いますし、活動に参加する人をできる限り増やしたいです。また、私はこの活動をアートの手法を用いた地域コミュニティのデザインだと思っています。ですからワークショップや展示を通じて人々に交流を促し、モノづくりの魅力と地域の魅力を再発見してもらい、これからの大田区の発展につなげていきたいと思って取り組んでいるのです。そういう意味では、この活動はまだ何にもつながっていません。この活動によって何かが動き出したとき、私も何らかの達成感を得るのではないかと思います。
アーティストは美術館やギャラリーで作品を発表することがひとつの達成だと思うかもしれませんが、それを発表することで何がどうなるのか、どう受け止められて、何につながっていくのか、ということもアートの重要な役割です。今、アート自体が単なるアートではなく、そこから地域活性や社会貢献につながる方向やさまざまな研究領域ともつながっていくことも期待されていると思います。それはデザインも同様です。デザインでは問題解決ということがよく言われます。この活動で何かの問題解決につながるのかどうかまだわかりませんが、まずはそこに興味を持ってもらい、次につなげるためのきっかけづくりのデザインとして捉えてもらえたらと思っています。
また、教育効果としては、ワークショップでの指導や活動運営補助という面でこの活動に参加してくれている有志の学生たちが、地域の人と交流する機会を持てるという貴重な経験ができている点だと思います。学生の声として、一般の方とこの活動を通して触れ合うことが楽しい、まちやものを知ることが面白いということをよく聞きますから。
■今後の活動の展望をお聞かせください。
繰り返しになりますが、この活動の参加人数を増やしたいと思っていますが、活動の土台が私一人なので、限界があります。そこで今後、地域と関わりながらもう少し教育の面と絡めうまく運営ができるようになればと思っています。
この活動で扱っているものは、最初に挙げた廃業した町工場やそこにある道具みたいに、誰かが声をあげないと残らないものです。また、日本の近代工業を支えた職人も現在高齢になっており、当時のモノづくりの遺伝子をつなげる意味で今大きな岐路に立っていると思っています。人がモノをつくるうえでのモノと技術の関係は、おそらく人間の感覚の可能性に触れることでもあると思うのです。そういうかつてのモノづくりや地域のなかでの営みを伝え、残すという点でも活動する意味はあると思っているので、体力が続く限り、続けていきたいですね。
オオタノカケラ2020
■デザイン学部は昨年4月に大学院デザイン研究科デザイン専攻が新設されました。そこではどんなことを学び、研究していくのですか?
昨今のデザインやそれを取り巻く社会の動きはどんどん変わり、デザインというものが非常に幅広く、また日常的になってきました。姿・形だけでなく、仕組みやサービスまでもデザインと捉えられるようになって、デザイン思考という考え方も一般的になっています。デザイン学部ではそういうところにいち早く着目し、実学主義という土壌で一人一人の感性とスキルを重視した新しいデザイン教育を展開してきました。その学部の延長線上にあるのが大学院です。学部での学びを終えて社会に出ることも選択肢のひとつですが、学んだことをさらに深めたり広めたりできるということで大学院があると思うので、意欲のある方にはぜひ進学も選択肢に入れてもらいたいですね。
学びの内容としては、学部では工業デザイン専攻、視覚デザイン専攻、そこからそれぞれコースに分かれ…というように、徐々に専門性を追究していきます。逆に大学院はひとつの専攻です。深めた専門を改めて工業デザインや視覚デザインなどと分野横断的に研究できる場だと思います。また、学部にも大学院にも共通して言えることですが、研究という点ではデザインの分野が幅広くなり、仕組みなど方法論としてのデザインも出てきているので、今後はアイデアや研究を学内で評価するだけでなく、それを社会とどうつなげたら問題解決になるのかということをAIやVRといった新しい技術も絡めながら、社会実装までつなげることが大切だと思っています。
■最後に受験生・高校生へのメッセージをお願いします。
デザインと聞くと、見た目の格好良さやかわいさ、面白さという部分にあこがれを持って、学びたいという人も多いと思います。ですがデザインとはそういう姿・形、表現だけではありません。人に対して喜びを提供したり、幸せになってもらったりという部分も含めてのデザインですし、隣近所の困っている人に対してどういうことができるかを考えることもデザインです。そんなふうに、デザインは社会を変えるかもしれない、大きな力があるものだということを知ってほしいですね。例えば、環境問題に対する取り組みで注目されている、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの活動のように、どうしたら社会が変わるかということについて声をあげたり方法を提示したり、プレゼンテーションしたりすることもデザインのひとつの力だと思います。
このようにデザインは非常に幅広い分野を対象にしていますし、分野に関わらず、さまざまなことに関わることができます。その中で自分の興味のあること、やりたいことを見つけてほしいですね。
・次回は4月10日に配信予定です